2021年2月1日のこと【ドラめくりカレンダー32日目】

はじめのあいさつ

今日から2月、この時期は冬の中でも一段とじめっとしている感じがする。
大学の頃はこの時期に期末試験があったのも関係しているのだろうか。
冬は嫌いではないが、2月はどうも苦手だ。
唯一の救いは国民の祝日が2回になったことだろうか。

節分が2月2日になるのは今年だけなのかと思ったら、これからしばらくは閏年の翌年は2月2日が節分なんだそう。
で、もう少し先では閏年の翌年と、その翌年は2月2日、もっと先では西暦が4で割り切れるときだけ2月3日で他の年は2月2日になるらしい。

世の中、まだまだ知らないことばかりだ。

映画100本ノック
2021年の7作品目『ハッピー・オールド・イヤー』

昨日は2020年日本公開のタイ映画『ハッピー・オールド・イヤー』を観に行きました。
断捨離がテーマということで、映画館の予告編で興味を持ち足を運んだ次第です。
アンチ断捨離な僕にとって、この映画はどのように映ったのでしょうか?

あらすじは以下。

タイ・バンコクスウェーデンに留学していたデザイナーのジーンは、帰国後、母と兄のジェーと3人で暮らす自宅のリフォームを思い立つ。
かつて父が営んでいた音楽教室兼自宅の小さなビルを、北欧で出会った“ミニマルスタイル”なデザイン事務所にしようというのだ。
しかし、ネットで自作の服を販売する兄は“ミニマルスタイル”をよく分かっておらず、母はリフォームそのものに大反対!内装屋の親友・ピンクには、年内中に家を空っぽにするよう諭されるが、残された時間は1ヶ月弱…。
家じゅうに溢れかえるモノを片っ端から捨てて “断捨離”をスタートさせるジーン。
雑誌や本、CDを捨て、友人から借りたままだったピアス、レコード、楽器を返して回る。
しかし、元恋人エムのカメラ、そして、出て行った父が残したグランドピアノは捨てられず…。
いよいよ年の瀬。果たしてジーンはすべてを断捨離し、新たな気持ちで新年を迎えることが出来るのか?

以下ネタバレありなので注意!!






ミニマリスト、断捨離、僕の嫌いな言葉だ。
物を持たない美学、生活の役に立たない無駄なものをそぎ落とすことで研ぎ澄まされるのだ…
ただの片付けにそういう精神性を付与するのが、浅いし、ある種の思考停止だと僕は思っていた。

劇中で、"こんまり"こと近藤麻理恵氏の断捨離ビデオを観る主人公の兄・ジェーは彼女のことを「天使の羽をつけた悪魔に見えてきた」と評するが、この映画こそが「天使の羽をつけた悪魔のような映画」だと思う。

モノを捨てるという行為は、とても精神的に疲弊する行為だと思う。
それこそ、モノを手に取ったときに「これはいつどこで買って、どんな思い出があって…」となってしまうからモノは捨てれないのだ。
「これには、こんな思い出があるけど今はもうときめかないから捨てましょう」となれるのは、やはり悪魔たる所以だろう。

劇中でジーンは、その部分でぶれてしまった。悪魔に成り切れなかったのだ。
だから「返しに行く」という選択をした。どれだけ楽だろう。捨てる苦痛を味わうことなく、自分は「善き行い」をしてモノが減るのだから。
しかし、それは同時に自分の罪を人に擦り付ける行為だということに気付いていなかった。
もう忘れていたかもしれない、もしくは忘れたかったかもしれない記憶を強引に呼び起こされ、それでいて、その相手は善い行いをしたと思っている。こんな身勝手なことがあるだろうか。

元恋人のカメラを返すという行為のせいで、主人公は彼の今の生活を壊してしまう。

そこで、ジーンはやっと気付いたのだと思う、断捨離の本当の意味を、「天使の羽をつけた悪魔」という言葉の意味を。

その後、主人公は最難関である「父のピアノ」を母を騙して、母の居ぬ間に売り払ってしまうという行為に出る。
母にとっては夫が戻ってくる最後の希望だが、子にとっては家を捨てた父を思い出してしまう代物だ。
この行為が果たして許されるかは分からないが、主人公は売り払うという後戻りのできない選択をした、それが断捨離だからだ。

断捨離とは、浅くて思考停止な行為だと思っていたが、真逆の行為だった。
物質的に軽くはなるが、捨てるという選択を取る、何かこう業のようなものを背負って生きていかねばならない行為なんだと思う。

無論、僕は絶対にやらないが。

今日のドラめくり

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今日は、以上。