2021年1月26日のこと【ドラめくりカレンダー26日目】

はじめのあいさつ

誰しも、子どものころの妙に覚えている出来事が少なからずあると思う。

あれは、幼稚園の頃だった。
夏に、海岸から干潮時にしか渡れない島を往復するというイベントがあった。
干潮と言ってもまわりは海なので、水遊びや海水浴も含めた楽しいイベントのはずだった。

海岸と島の往復を終えたころにはちょうどお腹の空く時間帯だった。
海岸ではテントの下で保護者が待っており、そこでみんなでご飯を食べてから解散という流れだった。
幼稚園生にとっては短くない距離を往復しきったということで、みんなにはご褒美の果物が待っていた。

そこで振舞われたのは西瓜だった。


僕は西瓜が苦手だ。

硬くて小さくて危うく呑み込んでしまいそうな黒い種
瓜臭くて水っぽい、いやらしく甘ったるい果汁
そして、この世に一つしかない、あのじょりじょりとした触感
あと、「西瓜って実は野菜なんだぜ」などとのたまう輩も含めて隅から隅まで嫌いである。

「夏と言えば西瓜」などという世間様の安直で思考停止した愚かな考えのもとに、子どもの頃の僕はひれ伏すしかなかったのだ。
"お利口"だった僕は涙を飲んで、「お腹がいっぱいなので他の人にあげてください」などと気を利かせた記憶がある。

子どもの頃に嫌いだったものは、年齢を重ねることで克服できるという。
確かに、僕もそのほとんどを克服してきた。いや、むしろ好きになった物も多い。

しかし、今でも西瓜が食べれないのは、そんな幼いころの苦い記憶のせいでもあるのかもしれない。

読書

子どもの頃はどうも本を読むということが苦手だった。今も得意というわけではないが、興味を持ったものや内容によっては抵抗なく読むことができるようになった気がする。
本を読むことの苦手意識は読書感想文が多大に影響していると思う。
本を読んで苦手な作文を強いられるのことが、あの頃の僕にとってどれくらいの苦痛だったかは、想像に難くない。

そんな僕に、本を読み始めるきっかけを与えてくれたのが「星新一」だ。
誰もが知っている、ショートショートの巨匠である。
SFを中心に、ミステリーや少しぞっとする怖い話、落語のようなとんちの聞いた話など子供も大人も楽しめる短編がさくっと読める。

このさくっと読めることが良い。
長編や続き物の小説や文学作品の良さもあるのだろうが、その頃の自分にはこの気軽さがありがたかった。

ちょっと手に取って一篇、二篇読んでみる。読み疲れたら、また明日。
そうこうしているうちに一冊読み終わる。他の作品も気になって、また買ってみる。
手に取って一篇、二篇…その繰り返し。

どうも僕は、子どものころ気づかないうちに読書という行為から「挫折感」を味わっていたのかもしれない。
図書館で面白そうな本に手を伸ばしてみるも、なかなか読み進められず返却日が来てしまって、泣く泣く返す。そんな挫折を何度も繰り返していた。

もしかしたら、また偶然手に取った本で挫折を味わってしまうことがあるかもしれない。
その時はまた、星新一ショートショートに帰ろう。そこが僕の故郷だ。

 

今日のドラめくり

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 今日は、以上。